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笹幸恵
2019.7.30 12:49日々の出来事

『Jシップス』インタビュー記事

現在発売中の『Jシップス』で、
海軍兵学校75期の方にインタビューさせて
いただいた記事が掲載されています。

田村豊さん。
75期は在学中に終戦を迎えていますので、
実践経験はありませんが、
戦後の混乱期に海保、海上警備隊を経て、
海上自衛隊を海将で退官されています。
この方の何がすごいって、現代の価値観に
いささかも踊らされることなく、
「当時はこうだった」とその時代性を明確に
捉えて話をされること。

たとえば敗戦となって生徒が帰郷するときのこと。
「普通なら(群馬まで)東京を経由して帰るのですが、
米軍が進駐してくる可能性があるから危ないと言われ、
迂回して名古屋から中央線に乗るよう指導されました。
バカげた話だと思われるかもしれませんが、
当時はそんな感覚だったのです」

この何気ない一言だけで、「へええ」と、
当時の海軍の認識を垣間見ることができます。
日本が負けた。占領軍がやってくる。
何をされるかわからない、東京で何があるか
わからない……という不安。
今なら「バカげた話」と思うことでも、
それは結果を知っているからこそ。
田村さんは、「バカげた話ですよね」とは言いません。
「バカげた話かもしれないが、当時はそうだった」と
語ってくださっています。

また、広島から無蓋車に乗ってからは、
こんな目撃談も披露してくれました。
「都市部はどこも焼け野原、文字通り
廃墟でした。そんな中、線路端から
貨車に向かって『ご苦労様でした』と、
深々と頭を下げるおばあさんもいました。
驚きましたが、乗っているのは復員兵ばかりだと
知っていたのでしょうね」

こんな些細な目撃談も、兵士に対する
庶民のまなざしが端的に表れています。
よく、外地から復員したら、内地の人々は
ボロボロの軍服を着た我々に対して
非常に冷たかった、という話を聞きます。
負けたから、軍人に対する失望があったから、
そうした冷たい仕打ちを受けたのかと
私は何となく思っていたのですが、
田村さんの話だと、敗戦直後も軍人への
敬意を変わらずに持っていた人がいたのが
わかります。

もちろん一個人の体験を、それがすべてで
あるかのように見てはいけないのだけど、
「そういう人もいた」ということが、
私にとってはとても新鮮に感じました。

戦争体験ではなく、「時代」を率直に
語ってくださったように思います。

良かったらどうぞ、手に取ってみてください。



笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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